実際に測ってみます。
山陽道は455㎝だったそうです。
教えていただいた周南市歴史博士の先生
歴史に思いを馳せる。
蔵の前を通る旧山陽道の歴史について、山縣本店に芋焼酎の芋切りに来てくださっている「周南市歴史博士」の先生に教えていただきました。
旧山陽道の歴史は古く、藤原京・平城京のころから、唐や新羅からの外交使節の移動に利用されたようです。
江戸時代になり、日本橋を起点とした五街道(東海道、中山道、甲州道中、奥州道中、日光道中)が整備されはじめ、一里(約4㎞)ごとに一里塚が設けられ、一定の間隔に宿場ができたということです。
山陽道は、京都の羅城門(東寺西口)から下関を結ぶ脇街道で、五街道に次ぐ重要な道とされ、江戸時代には、参勤交代で中国地方・九州地方の諸大名が通っていたようです。
山縣本店がある周南市(旧徳山市)にも宿場があったようで、銘柄「毛利公」でもゆかりのある、毛利家も立ち寄っていたのかな・・と考えると、とても感慨深いです。
教えていただく中で、山陽道の道幅は455㎝あったということで、実際に測ってみました!用水路までいれると、ちょうど455㎝で、これからこの道を通るときに、歴史に思いを馳せながら通れそうです。